NEWS-KE

青年海外協力隊としてケニアで活動を通し、 今度はイギリスの大学院へ進学する事にしたYUSUKEの最新情報。 だからNEWS-KE. ケニア生活を終えてから止まっていた更新をイギリス生活を機に再開です。

Home country as a disaster prone nation.

How many disasters we the Japanese has been confronting to during the period of recovery from the enormous earthquake and tsunami struck the Northeast part of Japan in 2011; another seismic damage and volcanic eruption in Nagano 2014, gigantic mudflow in Hiroshima 2014 as well, and gargantuan flood in Ibaraki in 2015. These are only a few examples. 

And this week, again, Japan has to be faced with another tragedy, tremendous earthquakes in the Southern region of Japan. Thousands of casualities has already been reported. 


As an ex-firefighter and a student learning about disaster management, such kinda situation is just impatient and not being able to stand still, however warm messages and phone calls from my friends have made my feeling warm. Let me express many thanks to those who have consideration about Japan.

I mourn for people who lost their lives with this tragedy, and wish their families, friends and people injured would get heeled as soon as possible. 


I do believe that Japan will rise up against this nightmare as we have done so in our history. 

サマータイム

先月の最後の週末からサマータイムに切り替わりました。
そうです、緯度の高いイギリスは冬はやたらと日が短いので、短い夏を十分に楽しむためにサマータイムが導入されてます。

ちなみに、冬至前後は午後4時頃には真っ暗で、朝の8時はまだ薄暗いです。
9−17時の授業の日は薄暗い中家を出て、授業中に真っ暗になります。
そしてそれに加えて雨と強風、時々雪。
確かにサマータイムを導入して冬の終わりを待ち遠しくなるのもうなずけます。


が。


告知がないんですよね。いつから夏時間か。
年によって開始日が違うのにも関わらず、ですよ?
ご存知の通り夏時間開始時には時計が1時間ずれます。
冬時間の終わりの24:00は夏時間の深夜1:00。


僕は夜な夜な課題に追われていて、ふと携帯を見たらやたら時間が進んでるんですよ。
あれ?と思いつつ、集中してたってことか。とやたらポジティブに考えてスルーして、
で、寝る前にふと腕時計見たら時間が携帯とずれてるんです。
あ、サマータイムか!!と、そこで気づく。


うちの大学、課題の提出は基本的に全てオンラインで、どのコースも締め切り時間は提出日の23:55なんです。
最後の追い込み中の1時間って本当に貴重なんで、その辺ちゃんと周知して欲しいですよね。
別に大学生でなくても、朝の出勤時刻、バス電車、全てが一夜で1時間ずれるんですから、気づかないのって割と深刻だと思うんです。
でも、全く告知なし。
テレビを見る人はニュースとかでやってるのかもしれませんが。


このあたりの感覚、やっぱり日本とは違うなぁと思うんです。
今はクールビズとかでだいぶゆるくなりましたけど、日本なんて気候は無視して6月と10月に衣替えってあったじゃないですか。学校や消防署では事前に大々的に周知してある日突然全員がYシャツになる。寒い人でも冬の制服は着れずにカーディガンとか。

日本は最近くらいゆるくていいと思いますが、イギリスの雑さってどーなんですかね。
とか思うんです。


ちなみにまだサマーとは全く言えないですよ、当然。朝とか普通に寒いし。
かなり春にはなってきましたが。
ただ、緯度が高いので冬とは逆にどんどん陽が長くなる。
今では6時過ぎには夜が明けてきて、20時前後に夕暮れです。この記事を書いている今は19:45.
ちょうど夕方です。
夏至に向かって陽はまだまだ伸びるでしょう。
ケニアでは赤道をまたいで自宅と活動地域があるという場所に住んでたので1年中陽の長さが変わらなかったので、全くえらい違いです。地学を学びたくなりますよね。つまりどんな理屈だっけ?って。


まぁ別にどうでもいいっちゃどうでもいいんですが。



なんか、イギリスで生活しててこんな風に「あれ?」って思うことも色々あるので、そんなこともちょこちょこ書いていこうかなぁ。

IMG_0158

たった今部屋の窓から撮影した写真。カメラの設定上かなり暗いですが、実はまだ周りの家とか全然見えて普通に明るいのは内緒の話。この写真が綺麗なのでこれ載せちゃいました。
群青と残照、煙突のある家のシルエットがいいですよねー(自画自賛)



でわ。


 

言葉から見る日本人。その2。

理屈っぽくて鬱陶しいと思われる方が多いと思ってましたが、意外と反応の良かった前の記事(こちら)。なので宣言通りもう一つ理屈っぽい記事を。


前回の記事では日本人が他人を通して自分を規定しているという内容を書きました。日本人のアイデンティティは曖昧なもんなのだと。そしてそれは悪いことではないと。そんな話。
それでは、今回はアイデンティティ、つまり人に特化していた前回より幅を広げて日本人の物事全体の捉え方、事象の認知方法について、また言葉から考えてみたいと思います。
というか実はこの考え、だいぶ昔から思ってたことで、何人かの方は「あー、たまに話してるあれね」と思うかもしれませんが悪しからず。



今回のテーマで重要になってくるキーワードが「間(ま・あいだ)」です。
日本人にとってこの一語は非常に重要なんです。なぜなら、日本人はありとあらゆる事象をその関係性、つまりは事象と事象の「あいだ」、もしくはその事象が内包する「ま」をもってして捉えているんだと思うからです。


典型的な例を挙げます。
僕らは私たち人類のことを、学術等でなく日常生活では「人間」と呼びます。
まぁ「人」とも表現しますが。でも、人と表現可能なのにも関わらず、あえての「人間」という言葉があることから、日本人は「人」を個としてではなく、人と人との結びつき、「人間」として捉えているのが分かります。同じように、時間、空間、世間、手間、林間、行間、どれも実は間がなくても成立する言葉ばかりです。日本人には当たり前の言葉ですが、漢字本来の意味も学びながら日本語を勉強する外国人にはややこしい限りだと思います。だって「人」「時」「空」・・・でいいじゃないって話ですから。でも漢字一文字で表すと、日本時的にはなんとなく寂しげで、孤独な感じがしません?
で、試しにこの「間」のニュアンスを考慮して英語で考えてみるとします。漢字本来の意味から英語に直訳すると「between man(men)」。「人間」を単数と捉えると完全に意味崩壊です。なんだか人間が二つに割れてしまっている感じがします。複数形であれば、もはやそれは人間を指さず、間にある人間とは別の何かを指してしまいます。犬でもいるんでしょうかねぇ、と。「among time」んー、少し時間に近づきましたが、でもやっぱなんとなく2点のしっかりした区切りが感じられるような。。。概念としての時間ではないのかなぁ。と言う感じです。


ということで、やはり日本人の物の考え方は独特でどうしたって欧米の人には分かり難いと思います。だって、人も時も空も世も、連続するいくつもの事象の間に存在するものとして捉えるなんて、本当に理解出来る話ではないと思います。考えてもみてください、おかしな話なんです。なぜなら実際に「確かに」存在するもの(人、時)を捉えようとすると、なぜかその間(あいだ・ま)にある「不確かなもの」となって言葉(人間、時間)になります。そしてその「間」というものは当然目に見えません。
それでも、その不確かなものを介して確かな事象を捉えるのが日本人の能力です。これを読める方は多分みなさん日本人なので、日本人なら、でもわかりますよね。なんとなくであってもその「間」という広がりを。時という1点ではなく、時間という流れの中に身を置くのが、つながりをなしには生きていけない「人間」だとういう感覚を。そんな人間が作る社会が「世間」であり、そんな人間が行う所作一つ一つが「手間」なんだと思うんです。この感覚って、きっと仏教の輪廻転生から来てるのかなぁと思います。私(達)が生きているこの世界は連綿と繰り替えさる生死のくり返しの一部。。。。


おっと、なんだか長くなってしまい話がずれてきましたね。とにかく、日本人はここでも物事を1つの確固たるものではなく、大きな曖昧さの中で捉えています。そんな幅を持つ日本人の言葉と思考が白黒はっきりしたディベートに向かないのは当然で、英語で物事が進む国際舞台での議論でもかなり場慣れしないとやはり存在感を示すことは難しいと思います。ですが、前回の記事でも述べたように、僕はそんな日本人の感覚がやはり好きです。

世の中なんて白黒を完全にはっきりさせられることなんて一つもありません。価値観やモラルなんて場所や時代が変われば全く変わってしまいます。そんな中で大切なのが、この「間」、つまりは幅だとか曖昧さだとかだと思います。グレイゾーンとでも言いますか。でも、残念ながら近頃の日本はその幅がないように思います。アフリカの経験以来、時に僕が息苦しさを感じる日本はそこにあるんだと思います。

相手や物事を、その背景や自身との関係性も含めて深く理解できるからこそ、許し合い、譲り合い、そして相手を慮れるんだと思うんです。そんな日本人の良さ「惻隠の情」が今の日本に必要なんじゃないかと思うのです。

主語から見る日本人。

日本人がその意味を捉えにくい英単語の一つが " identity " だと思います。
辞書では自己同一性だとか、自分自身が何であるか、とか記されています。

いやいや、そんな訳だから掴みにくいんですよね。。。
でも、その意味を正確に掴むことは実は日本人には非常に難しいのです。
ということで、identity=アイデンティティとは何かを主語から捉え直してみて、そこから日本人という民族を考えてみようと思います。



皆さんもご存知と通り、英語で一人称を表す主語は " I (アイ)" です。
対して日本語で一人称を表すと。。。

わたし、わたくし、僕、俺、うち、わし。。。
一人称の主語がたくさん。
でも、実は日本人の主語って実はこれ以上に更に多様性を持っています。
皆さん、考えてみてください。

お正月のリビング。3世代が久々に顔を揃えています。
祖父後、両親、孫です。
では、その3世代が揃った空間で2代目である両親は自身の両親である祖父母をなんと呼びますか?

多分、多くの方は経験から両親は自身の親である祖父母を「おじいちゃん」、「おばあちゃん」と呼ぶのだと想像できますよね?
そして祖父母も自身のことをそう呼びます。


では次に、孫がもう寝てしまったとします。リビングには両親、祖父母の2世代しか居ません。
その空間で両親は自身の両親をなんと呼び、祖父母は自身をどう捉えますか?

両親は祖父母を「おとうさん」、「おかあさん」と呼び、祖父母も同じく自身を同じように呼ぶのがい一般的ではないですか???


つまり、孫がいるかいないかによって主語が変わってしまいますし、周囲も同じように相手の肩書きを無意識に変えてしまいます。日本では集団を形成する、もしくは話し相手の基準となる相手により、個人の肩書がそのまま自身を表す主語になり得るのです。



ここから分かることは、日本人が自分自身がどういう者であるかを規定する条件は、その空間を共有する相手に依存しているということです。もっと言えば、日本人は同じ空間、時間を共有している人の中で最も立場が弱い人を基準に自身を立ち位置を規定するのです。
同じ理由で学校では先生が自身や同僚を「先生が」と呼びますが、先生同士の会話で相手の肩書である「同僚」という言葉を主語にしないのは、いつでも目線が生徒にあるからです。


対して英語圏では、ほとんどの場合、自分自身は私= I でしかありえません。
つまり、自分は自分であり、他人に左右されることはありません。
英語圏だけでなく、実はほとんどの言語で立場や職業で主語を表す文化はあまり見られません。
タクシーの運転手さんを "Diriver"と呼びかけることはないです。英語圏ではむしろ失礼ではないかと思います。日本では普通に運転手さん、郵便屋さん、消防士さんと呼びますよね。
でも他の国では運転手はあくまで職業であり、自分や相手を表す主語にはなりえないのです。


同じ理由で、核家族の中で夫婦をお互いに「おとうさん」「おかあさん」と呼ぶことは基本的にありません。なぜなら夫は奥さんにとってやはり夫であり、父親ではないからです。
例えば、旦那の名前ばDavidだとします。奥さんにとってDavidは旦那であり、でもそれ以上にDavidなんです。奥さんにとったら間違ってもDadにはなりません。Dadは自分の父親しかないのです。日本人なら子供を介さずともお互いを「おとうさん」「おかあさん」と呼んでも別に普通ですよね。



ということで、日本人にとって " identity " という言葉が捉えられないのは当然です。
なぜなら上述のように自身を絶対的に規定する文化を持ってないからです。
私たち日本人は、自分自身が何であるか、何者であるかを常に他者を基準に規定してるんです。
なので、日本人は赤の他人と話すことが極端に苦手です。
なぜなら相手が何者か分からないと自分自身の立ち位置も分からないから。
日本人がシャイだとか臆病だとか言われるのはそのためだと思います。



で、結局何が言いたいかというと、僕はそんな日本人の感性が好きだってことです。
別に欧米を基本とする個人主義に同調する必要なんて全くありません。
彼らより若干時間がかかったとしても、相手を理解した上で自身を規定し、そしてその人との付き合いを始める。素晴らしいじゃないですか。と思うのです。


自分のアイデンティティを強く持つことが悪いと言っているのではありません。
でも、私たち日本人は欧米と比べて自己主張が弱いことを卑下するのではなく、むしろ強みと思うほうがいいと思うのです。
相手、特に対象となる集団や相手の中で最も立場が弱い相手を基準に自身と物事を捉えらる日本人。
そんな日本人だからこそできる国際理解や国際協力の形があるんだと思うんです。

決して独りよがりではなく、あらゆる立場の人の背景を考えることを自然と身に付けいる日本人って、紛争が絶えない社会ですごいポテンシャルを秘めていると思います。
噂のトランプ氏が日本人なら話題になる発言のほとんどはありえないと思いますw



実はもう少し言語から日本人の感性を考えたことがあるので、それを次回アップしたいと思います。




日本人っていいですね。

 

ケニア再訪。KESTES編。

(今度こそSNSにうまく連動できるのか!?!?)




ゆったりとした時間が流れる任地を結局数日でバタバタと去ってナイロビへ。ナイロビでは、隊員時代に役員もやっていたKESTESの活動といういうか、その延長を。


KESTESについては左のリンクを見てもらえば分かりますが、まぁとにかくケニア隊員とそのOBで組織する奨学金を交付する団体です。
ここで私が担当していたBrian君。
KESTESは高校生を支援する団体なので、私が担当した時に卒業した彼はその後KESTESの支援は受けれませんでした。(彼の卒業についてはこちら
身寄りのない彼は母校である更生学校(身寄りがなかったり素行に問題がある子供が在籍する学校。彼はもともと天涯孤独のストリートチルドレンでした)で無給で働くことで食事と寝る場所を確保している状況でした。
そんな彼が友人知人からお金を集め(ケニアではハランベーというごく普通に小額のお金を助けあう文化があります)、先生になるための学校(日本では短大?かな)に行ったことまでは知っていました。

そしてケニアを訪れる直前の12月にその過程を修了したとのことです。
そうなれば次は就職です。
しかし、ケニアで正規のルートで公務員である教員になることは並大抵のことではありません。競争が激しいというか、賄賂が払えない彼は能力如何でなんとかできないことがありすぎるのです。
ちなみに彼は円盤投げのケニア代表として東アフリカ大会で2位の成績を収め、フランスでの国際大会参加の最有力候補でしたが、賄賂に負けフランス行きは6位の選手の手に渡りました。まぁケニアでは残念ながらごく普通にありえることです。

それでもなんとかして彼に自立への道を歩んで欲しいというのが支援者としての願いでしたし、彼自身の願いでもありました。そこで、ナイロビでBrianが起居する更生学校に現在派遣されている隊員と色々と相談し、JICAの教育担当の方にケニアの教員採用の方法や実情をヒアリングに行ったり、Brian本人の意向を聞いたり、受け入れてくれそうな組織を考えたりしました。

そして、ナイロビから小一時間の街で日本人が営む孤児院で働くこと(Brianのことも知っている施設)を当面の目標とし、Brianには早急に履歴書を作り、必要な書類を役所等に取りに行って揃え、そして現役隊員の方にKESTESからの推薦状や孤児院のある街への訪問等を依頼してイギリスに戻りました。もちろんそこがダメだった場合のプランB、Cも彼には提示してケニアを離れました。
任地での活動に続いてナイロビでKESTESのことをしているとなんだか隊員に戻った気分でした。

Brianは本当に素直で優しい子です(もう大人ですが)。彼のことは僕も心から尊敬するし、なんだか兄弟のように感じています。ずっと支援してきて、彼も非常によく僕を慕ってくれています。僕の帰国のさいにはだいぶ泣いたそうです。僕もそんな彼がかわいくてなんとか笑顔のあふれる人生を送って欲しいとずっと思ってきました。そんな彼のサポートを身近にまたできることは僕にとってこの上ない喜びの時間でした。

で、イギリスに帰国して2週間ほどが過ぎた時、Brianからお試しだけど3か月間雇ってもらえることになったと連絡を受けました。よほどのヘマをしない限り正規職員になれると思います。連絡を受けた時はスーパーでの買い物を終え自宅に戻る途中でしたが、興奮しすぎてよく覚えてません。
家に着いてから喜びが溢れてきてもう泣きそうなくらいで、鳥肌が一気に立ったのを覚えています。

彼の就職先は日本人が運営する孤児院なので、うがった見方をすれば日本人のおかげで受かったとも取れますが、それは決してネガティブなことではなく、KESTESから始まったとは言え彼自身が築いたネットワークです。彼自身に魅力があったのでここまでた取り付いたのだと思います。天涯孤独のストリートチルドレンであった彼がJOCVやKESTESと出会い、日本人を含む多くの友人や知人を得て、そして社会人として独り立ちをするということは、途方もなく大きなことだと感じます。

ケニアに限らないことですが、どこで暮らしていても人生いつ何があるかは分かりません。そして途上国では予期しないことが起こる可能性は日本よりずっと高いと思います。
そんな中でも彼のこれからの人生がずっと素晴らしいものであることを、これからは(も?)友人としてずっと応援していきたと思います。


とにかくおめでとう、Brian!!!!
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