NEWS-KE

青年海外協力隊としてケニアで活動を通し、 今度はイギリスの大学院へ進学する事にしたYUSUKEの最新情報。 だからNEWS-KE. ケニア生活を終えてから止まっていた更新をイギリス生活を機に再開です。

面白くないな。

タイトルは課題の息抜きというか、息抜いてる場合じゃないんだけど、
なんとなく再開してからの記事を読み返した感想です。

なんか面白くない。

というか響いてこないんだよね、当時の思いが。

ケニアから 帰国しての2年は環境も感情も大きく動いた時期だったはずで、それは振り返ってみたときに、とてもじゃないけど充実してるなんて言えるスタートではなかったはず。
最初はもっと虚無的で、喪失感にあふれた生活も送っていたのに。

そう、きっとリアルじゃないんだ。言葉が。
2年を数回の記事にまとめちゃってるんだから当たり前なのかもしれないけど。

僕らは生きていく過程で多くのことを忘れていくし、多くのことを美化していってて、それは生きていく上で必要不可欠な能力ではあるんだろうけど、文字として残せる能力を僕らが持っているんだから、せめてその能力を使う時は形を変える前の、生の、リアルな感情や人生を綴れたらなー。せっかく誰も見てないんだから。誰に気兼ねしなくてもいいわけだし。
とか思ったわけです。

 もう少し、生臭いブログを目指してみようかな。
例えば、こっちに来て多くの友達もできたし、力を抜いて生きれるとも思うし、居心地もいいと感じている反面、どこか常に漠とした寂しさがあることとか。facebookのようにリア充ばかりでなくていんだもんね。

きっと今時分の日本では彼岸花を揺らした風がいつの間にか色づいた葉を落とすように、あまりに当たり前に変わっていく情景を、並べてみらたらその移ろいがわかる写真のように、そんな風にこのブログを使っていけたらいいなって思います。


ということで前回の記事を書き直してみました。
 少しはリアルになったかと思います。

祖母を看取る。

小さな痙攣の後、母の腕の中で祖母が息を引き取りました。
それは母も気づかなかった小さな痙攣だったけど、救急をしてたからか、母と違い隣でその様子を見ているだけだったからか、理由はどうあれ僕には「あぁ、今旅立ったんだな」と分かる瞬間でした。

仕事の時とは違い、祖母の呼吸と脈を確認してそのどちらも認められなくて、寂しさも大きかったけどどこか安心感みたいなものもあり、そしてそれら以上に感謝の気持ちが湧きました。

梅雨入り前の5月末日、半世紀以上を祖母が過ごした家の仏間にはすだれを通して光は入るものの、昔の家らしくさほど明るくもなく、それだけに家族がそこで暮らしていた匂いや空気が溢れている感じでした。残った者の自己満かもしれませんが、そんな部屋の畳の上で、祖父や先祖の位牌が見守る前で、そして娘の腕の中で逝けた祖母は幸せだったのだろうと思います。そして祖母の命日は祖父の月命日。きっとお迎えにきたのでしょう。非科学的な事は信じないといつも豪語してる僕が、神妙にそんな事を思うわけですから、やっぱり家族ってすごいな。って思う。いつか僕も家族を持てるのだろうか。

GWも明けた頃、祖母は脱水症状から脳梗塞を起こして入院。
幸か不幸かフィリピンから帰国した僕と療養中の妹、母と3人も無職がいたので叔父や叔母も含めて毎日面会時間のほとんどを誰かが祖母に付き添いました。
最初は少し煙たがっていた看護師や看護助手の方も、退院の際は外まで送ってくれて、その際に師長さんが「いい経験をさせていただきました」とおっしゃってくれた。(最後まで延命治療にこだわり退院をしぶっていた医師の事は忘れます。といって記してるのですが。笑)
最後を看取ってくれる家族がいて、駆けつけてくれる町のお医者さんがいて、涙を流してくれる近所のご友人がいて。祖母は長生きだったので色んな人が先に旅立ってしまったのでしょうが、それでも祖母が紡いだ1世紀近い人生に残された掛け替えなない人に触れられたこと、大阪の家で暮らす事で見えてくる先祖とのつながりや祖父母の人生の幾ばくかに触れられたこと。それらは大きな学びを僕に与えてくれました。
家族と過ごす事や、家族の最後と向き合う事すらままならない日本で、でも僕の家族がそれをできたことはすごくすごく誇らしいことです。100箇日の法要を終え納骨の段となった時、墓石の下にはまだ2年前に他界した祖父の遺骨がはっきりとありました。大正の時代に生まれ、戦中戦後を共に生き抜き連れ添った夫婦が、現世での一時の別れの後再び同じ場所に眠る事の意味に圧倒されました。

今こうしてイギリスにいて、寮の自室でパソコンに向かってブログにしたためていても、あの3ヶ月の濃密な空気はずっと僕の周りに張り付いている感じがします。
出国前に多くの事を感じさせてくれた祖母や、家族、大阪での時間に感謝です。

契約社員として派遣社員になる。

さて、帰国してからは短期でも実入りのいい仕事を探しました。
3ヶ月働いて留学資金の足しにするためなので、仕事は選びません。
で、消防士として働いたために持ってるものは、一晩くらい寝なくても平気な体と大型免許。
もちろん他にもあるけど、今回はこれらを利用して大型トラックの運ちゃんしました。
運ちゃん派遣会社に契約社員で入社し、運送会社に派遣されました。
(後で知りましたが、派遣会社は運送会社の持株会社で経費削減の為に設立された形だけの会社でした)

月24-25日働いて手取りで30-35万くらいでした。いいですよね。
でもね、拘束時間は12時間くらい。通勤に片道1時間。
帰ったらシャワー→お風呂→寝るの日々でした。
仕事はただただ荷物を載せて運んで降ろす。単純作業です。

僕なんて腰掛けですが、実際そこ何年も働いて生活してる人もいるんです。みんな家族を持ってます。
手取り30-35万といっても契約社員なので一切の福利厚生がありません。もちろん残業代もありません。
運んだ荷物の量で給料が決まります。
驚くほど理不尽です。
例えば、某家電量販店が店舗Aから店舗Bに運んで欲しいものがあって、彼らが払う運賃は300円。それが実際に回収から配達までした運ちゃんに渡る時に19円になってます。そう、そこには労働に対する対価だけでなく、システムにかけるお金や資本家に落とすお金があって、それらを差し引くと19円。昨今宅配業界が限界だと言われてますが、正当なサービスには正当な対価を払う社会であって欲しいものです。

運ちゃんは辞める人も多いし、様々な背景を抱えた人で溢れています。
今までの人生では出会わなかった人達ばかりでした。いやー、いつになっても知らないこと、知らない世界はたくさんあるもんです。

日本社会というか、資本主義社会の矛盾であったり闇の部分が凝縮された世界。
ブルーカラーと呼ばれるより更に酷い環境でした。

ただ、僕が感じたことは、社会構造ももちろん悪い。
だけど、抜け出す努力を一切しない人、その環境に甘んじてる人が多かった。
それで楽しそうに生きてる人もいる。なのに文句や愚痴を言い続ける人が多い。
要は物やシステムは使いようなわけで。理不尽で間違った事も多い世の中だけど、その中で生き抜くにはやはりポジティブな行動力と知識が必要だなと。
あれ?これアフリカでも同じ事思ってたなー。だから教育が大事なんだよな。
ま、日本の教育が生きる力を育めているかはまた別の問題ですが。

社会や会社が労働力として人を利用するのか、人がよりよく生きるために社会や会社を利用するのか。
その目的と手段が一致すれば最高ですが、なかなかそうもいかないので、せめて後者でありたいものです。
そして後者のような人で溢れる社会になれば、社会も会社もその姿を変えざる得ません。
そのためには法律やシステムを変えるのと同時に労働者への啓発も教育も必要で。
途上国も先進国も詰まる所、抱えてる問題の根幹は一緒ですね。

そんな事を考えながらの3ヶ月でした。
この期間はこの期間で本当に思う事が多すぎて書ききれません。
また時間がある時に更に振り返ってみてもいいな。けど、とりあえず先に進もうと思います。さて、いよいよ出国。ん?あ、でも出国前にもう一つ書きたいなー。また次回。

フィリピン生活。

2ヶ月のプー太郎を経て3月頭にフィリピンに。
朝の6:30から夜9:00過ぎまでの授業に加えて宿題。
3食は全て用意され、部屋の掃除も洗濯もしてくれる。
僕はただただ英語の勉強をする環境。
すごくすごく恵まれた環境でした。

必死に勉強したら1ヶ月たたずにまさかの目標スコアクリア。
そしてその結果に加えて、韓国、ベトナム、台湾、日本、ロシア、ウズベクスタンとか多くのアジア圏からの友人に出会えました。
アジア圏の生徒は基本的に具体的な目標を持ってきていました。
英会話ができるようになりたいっていう様な人はいません。
明確な人生の目標を持っており、本当に刺激になりました。

イギリスに来た今でも、というかかれこれフィリピン生活から半年以上経ちますが、それでもグループで毎日のように連絡を取り合ってます。 
フィリピンで出会った仲間は今、オーストラリア、イギリス、マレーシア、韓国、日本、モンゴル、カナダと世界中にちらばってしまいましたが、それがすごくいい刺激です。
アフリカとは違い、日本が、そして自分自身がアジア人であることを痛感した2ヶ月でした。

そして特筆すべきは素晴らしい先生に出会えたこと。
全員僕より年下の先生でしたが、彼らフィリピン人の先生も人生を真剣に生きる人たちでした。
心から尊敬できる人々でした。

仕事を辞める前後から有意義な時間がずっと続いてて、結果こんなにブログ書いてるわけですが、フィリピンでの2ヶ月も然り、やはりかけがえのない時間となりました。

で、4月末に帰国。
まだまだ話は続きます。
ではまた次回。 

退職後の話。

9年お世話になった消防局を退職し、2015年には晴れてフリーターに。
とりあえずフィリピン行きはお金さえ払えばOK.
イギリスでの5週間の事前コースより安い金額で2ヶ月、授業時間も長く、3食宿泊場所やハウスキーピングつき、マンツーマンで授業受けれる。安い。
就活は、これからのキャリアを考えて、開発業界や防災関連をいくつか受けてみる(全て短期)
やはり日本は短期の仕事でクリエイティブなものってなかなかない。
難しかった。
勤務期間3ヶ月からとか、半年からとか書いてあっても実際は数年以上働く事前提でないとはねられる。じゃぁそう書いて募集したらいいのに。

それでも、書類審査や面接も通って問題は勤務期間だけってなったところもいくつか。
外務省職員やJICA関係とか。
来年の就活に対して少し不安が減った。

併せて防災関連のセミナーに行ったり、京大・神大とかの教授を紹介してもらったり、開発業界の中でも防災に携わる人と会ったりして視野を広げる時間を取れたのもこの期間のいいところ。

そうこうしてるうちに渡英まで半年を切ったので、ひとまず半年だけの就職は諦め、フィリピンに行く事に。
期間は2ヶ月。
意地でもこの2ヶ月でIELTS(英語の試験)のスコアを満たさなければ。と気負って行きました。
これが3月の話だから、2ヶ月ぷー太郎だったわけです。でも有意義だった。

さて、フィリピンでも無茶苦茶有意義な時間を過ごすのですが、その辺はまた次回。
ほしゃ。 
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