小さな痙攣の後、母の腕の中で祖母が息を引き取りました。
それは母も気づかなかった小さな痙攣だったけど、救急をしてたからか、母と違い隣でその様子を見ているだけだったからか、理由はどうあれ僕には「あぁ、今旅立ったんだな」と分かる瞬間でした。

仕事の時とは違い、祖母の呼吸と脈を確認してそのどちらも認められなくて、寂しさも大きかったけどどこか安心感みたいなものもあり、そしてそれら以上に感謝の気持ちが湧きました。

梅雨入り前の5月末日、半世紀以上を祖母が過ごした家の仏間にはすだれを通して光は入るものの、昔の家らしくさほど明るくもなく、それだけに家族がそこで暮らしていた匂いや空気が溢れている感じでした。残った者の自己満かもしれませんが、そんな部屋の畳の上で、祖父や先祖の位牌が見守る前で、そして娘の腕の中で逝けた祖母は幸せだったのだろうと思います。そして祖母の命日は祖父の月命日。きっとお迎えにきたのでしょう。非科学的な事は信じないといつも豪語してる僕が、神妙にそんな事を思うわけですから、やっぱり家族ってすごいな。って思う。いつか僕も家族を持てるのだろうか。

GWも明けた頃、祖母は脱水症状から脳梗塞を起こして入院。
幸か不幸かフィリピンから帰国した僕と療養中の妹、母と3人も無職がいたので叔父や叔母も含めて毎日面会時間のほとんどを誰かが祖母に付き添いました。
最初は少し煙たがっていた看護師や看護助手の方も、退院の際は外まで送ってくれて、その際に師長さんが「いい経験をさせていただきました」とおっしゃってくれた。(最後まで延命治療にこだわり退院をしぶっていた医師の事は忘れます。といって記してるのですが。笑)
最後を看取ってくれる家族がいて、駆けつけてくれる町のお医者さんがいて、涙を流してくれる近所のご友人がいて。祖母は長生きだったので色んな人が先に旅立ってしまったのでしょうが、それでも祖母が紡いだ1世紀近い人生に残された掛け替えなない人に触れられたこと、大阪の家で暮らす事で見えてくる先祖とのつながりや祖父母の人生の幾ばくかに触れられたこと。それらは大きな学びを僕に与えてくれました。
家族と過ごす事や、家族の最後と向き合う事すらままならない日本で、でも僕の家族がそれをできたことはすごくすごく誇らしいことです。100箇日の法要を終え納骨の段となった時、墓石の下にはまだ2年前に他界した祖父の遺骨がはっきりとありました。大正の時代に生まれ、戦中戦後を共に生き抜き連れ添った夫婦が、現世での一時の別れの後再び同じ場所に眠る事の意味に圧倒されました。

今こうしてイギリスにいて、寮の自室でパソコンに向かってブログにしたためていても、あの3ヶ月の濃密な空気はずっと僕の周りに張り付いている感じがします。
出国前に多くの事を感じさせてくれた祖母や、家族、大阪での時間に感謝です。