今回のテロの犠牲になった方、傷ついた方、またその家族や関係者の方は本当にやるせないと思う。心から哀悼とお見舞いの気持ちを送りたいと思います。
そして2度とこんな悲劇が起こらないことを祈るのみです。

でも。。。

祈るのみでは何も解決しません。
今回のテロの背景をしっかり考え、当事者意識を持たなくては近い将来日本も攻撃されることでしょう。
さて、では当事者意識って何でしょう。
パリ市民の立場に立って悲しみ、正義のために立ち上がることでしょうか。

もちろんそれも正解です。
でもそれでは片手落ちです。

facebookや公共施設ではトリコロールカラーで溢れています。
しかし、先月トルコでも100人以上が犠牲になる自爆テロが起こってますし、数日前にはベイルートでも大きな爆弾テロがありました。その際に社会はこんなにも反応したでしょうか。もっと言えば、正義の名の下の空爆の犠牲になる一般市民は数え切れません。そこに無関心ではなかったでしょうか。
言うまでもなく公共施設のライトアップはメディアでも報じられ、facebookを代表とするSNSは世界中の人がアクセスできます。
上述の関係者がトリコロールに染まる社会を見たとき何を思うでしょうか。
平等を語る先進国や西欧諸国に対して矛盾や欺瞞を感じずにはいられないでしょう。
命の重さの違いに愕然とし、場合によっては憎しみさえ持つでしょう。

そしてテロリストも当然ニュースやSNSを見れます。世界の動きを知れます。
彼らはフランス国旗に染まる社会を見て何を思うでしょうか。テロとの戦いを正義と声高に叫ぶ政治家の言葉をどんな思いを持って聞くでしょうか。日本人のfacebookがフランス国旗に満ちている状況で、日本をどういう国とみなすでしょうか。
欧米を中心とする国際社会が掲げる正義は、彼らにとっては悪でしかありません。 
テロ行為は人災です。決して防ぐことのできない天災ではありません。背景には必ずテロ行為に走った人の思想があります。 そして彼らも当然、当事者なのです。
人を殺したという点では、彼らは間違いなく加害者です。ただ、彼らを加害者たらしめたものは何なのか。そこまでの当事者意識を持てなければ、憎しみの連鎖は断ち切れないと僕は思います。

パリの方に哀悼の意を表すことは非常に暖かなことです。決して否定されるべきことではありません。
トリコロールに染まる社会によって心を救われる人もいるでしょう。
でも私たちは今、困難な時代に相対している今、その一挙手一投足を真剣に考えなくてはいけないと思います。そしてそのためには、今まで以上に想像力を膨らませなければいけないと思います。一見間違いなく正しいと思えることも、角度によっては正しくないかもしれない。そう常に意識して行動しなくてはいけないと思います。

僕も決して完璧な人間ではありません。世界中のテロを逐一全部把握などできません。
ですが、僕はパリ市民に祈ると同時に、世界中でテロや紛争で犠牲になる方すべてに祈りを捧げたいと思います。
だから僕は特別トリコロールだけを掲げることはしません。
今回のテロを通して、僕も含め多くの人が今までより広い視野を持つきっかけとなればと思います。