(今度こそSNSにうまく連動できるのか!?!?)




ゆったりとした時間が流れる任地を結局数日でバタバタと去ってナイロビへ。ナイロビでは、隊員時代に役員もやっていたKESTESの活動といういうか、その延長を。


KESTESについては左のリンクを見てもらえば分かりますが、まぁとにかくケニア隊員とそのOBで組織する奨学金を交付する団体です。
ここで私が担当していたBrian君。
KESTESは高校生を支援する団体なので、私が担当した時に卒業した彼はその後KESTESの支援は受けれませんでした。(彼の卒業についてはこちら
身寄りのない彼は母校である更生学校(身寄りがなかったり素行に問題がある子供が在籍する学校。彼はもともと天涯孤独のストリートチルドレンでした)で無給で働くことで食事と寝る場所を確保している状況でした。
そんな彼が友人知人からお金を集め(ケニアではハランベーというごく普通に小額のお金を助けあう文化があります)、先生になるための学校(日本では短大?かな)に行ったことまでは知っていました。

そしてケニアを訪れる直前の12月にその過程を修了したとのことです。
そうなれば次は就職です。
しかし、ケニアで正規のルートで公務員である教員になることは並大抵のことではありません。競争が激しいというか、賄賂が払えない彼は能力如何でなんとかできないことがありすぎるのです。
ちなみに彼は円盤投げのケニア代表として東アフリカ大会で2位の成績を収め、フランスでの国際大会参加の最有力候補でしたが、賄賂に負けフランス行きは6位の選手の手に渡りました。まぁケニアでは残念ながらごく普通にありえることです。

それでもなんとかして彼に自立への道を歩んで欲しいというのが支援者としての願いでしたし、彼自身の願いでもありました。そこで、ナイロビでBrianが起居する更生学校に現在派遣されている隊員と色々と相談し、JICAの教育担当の方にケニアの教員採用の方法や実情をヒアリングに行ったり、Brian本人の意向を聞いたり、受け入れてくれそうな組織を考えたりしました。

そして、ナイロビから小一時間の街で日本人が営む孤児院で働くこと(Brianのことも知っている施設)を当面の目標とし、Brianには早急に履歴書を作り、必要な書類を役所等に取りに行って揃え、そして現役隊員の方にKESTESからの推薦状や孤児院のある街への訪問等を依頼してイギリスに戻りました。もちろんそこがダメだった場合のプランB、Cも彼には提示してケニアを離れました。
任地での活動に続いてナイロビでKESTESのことをしているとなんだか隊員に戻った気分でした。

Brianは本当に素直で優しい子です(もう大人ですが)。彼のことは僕も心から尊敬するし、なんだか兄弟のように感じています。ずっと支援してきて、彼も非常によく僕を慕ってくれています。僕の帰国のさいにはだいぶ泣いたそうです。僕もそんな彼がかわいくてなんとか笑顔のあふれる人生を送って欲しいとずっと思ってきました。そんな彼のサポートを身近にまたできることは僕にとってこの上ない喜びの時間でした。

で、イギリスに帰国して2週間ほどが過ぎた時、Brianからお試しだけど3か月間雇ってもらえることになったと連絡を受けました。よほどのヘマをしない限り正規職員になれると思います。連絡を受けた時はスーパーでの買い物を終え自宅に戻る途中でしたが、興奮しすぎてよく覚えてません。
家に着いてから喜びが溢れてきてもう泣きそうなくらいで、鳥肌が一気に立ったのを覚えています。

彼の就職先は日本人が運営する孤児院なので、うがった見方をすれば日本人のおかげで受かったとも取れますが、それは決してネガティブなことではなく、KESTESから始まったとは言え彼自身が築いたネットワークです。彼自身に魅力があったのでここまでた取り付いたのだと思います。天涯孤独のストリートチルドレンであった彼がJOCVやKESTESと出会い、日本人を含む多くの友人や知人を得て、そして社会人として独り立ちをするということは、途方もなく大きなことだと感じます。

ケニアに限らないことですが、どこで暮らしていても人生いつ何があるかは分かりません。そして途上国では予期しないことが起こる可能性は日本よりずっと高いと思います。
そんな中でも彼のこれからの人生がずっと素晴らしいものであることを、これからは(も?)友人としてずっと応援していきたと思います。


とにかくおめでとう、Brian!!!!
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