タイトルは課題の息抜きというか、息抜いてる場合じゃないんだけど、
なんとなく再開してからの記事を読み返した感想です。
なんか面白くない。
というか響いてこないんだよね、当時の思いが。
ケニアから 帰国しての2年は環境も感情も大きく動いた時期だったはずで、それは振り返ってみたときに、とてもじゃないけど充実してるなんて言えるスタートではなかったはず。
最初はもっと虚無的で、喪失感にあふれた生活も送っていたのに。
そう、きっとリアルじゃないんだ。言葉が。
2年を数回の記事にまとめちゃってるんだから当たり前なのかもしれないけど。
僕らは生きていく過程で多くのことを忘れていくし、多くのことを美化していってて、それは生きていく上で必要不可欠な能力ではあるんだろうけど、文字として残せる能力を僕らが持っているんだから、せめてその能力を使う時は形を変える前の、生の、リアルな感情や人生を綴れたらなー。せっかく誰も見てないんだから。誰に気兼ねしなくてもいいわけだし。
とか思ったわけです。
もう少し、生臭いブログを目指してみようかな。
例えば、こっちに来て多くの友達もできたし、力を抜いて生きれるとも思うし、居心地もいいと感じている反面、どこか常に漠とした寂しさがあることとか。facebookのようにリア充ばかりでなくていんだもんね。
きっと今時分の日本では彼岸花を揺らした風がいつの間にか色づいた葉を落とすように、あまりに当たり前に変わっていく情景を、並べてみらたらその移ろいがわかる写真のように、そんな風にこのブログを使っていけたらいいなって思います。
ということで前回の記事を書き直してみました。
少しはリアルになったかと思います。
なんとなく再開してからの記事を読み返した感想です。
なんか面白くない。
というか響いてこないんだよね、当時の思いが。
ケニアから 帰国しての2年は環境も感情も大きく動いた時期だったはずで、それは振り返ってみたときに、とてもじゃないけど充実してるなんて言えるスタートではなかったはず。
最初はもっと虚無的で、喪失感にあふれた生活も送っていたのに。
そう、きっとリアルじゃないんだ。言葉が。
2年を数回の記事にまとめちゃってるんだから当たり前なのかもしれないけど。
僕らは生きていく過程で多くのことを忘れていくし、多くのことを美化していってて、それは生きていく上で必要不可欠な能力ではあるんだろうけど、文字として残せる能力を僕らが持っているんだから、せめてその能力を使う時は形を変える前の、生の、リアルな感情や人生を綴れたらなー。せっかく誰も見てないんだから。誰に気兼ねしなくてもいいわけだし。
とか思ったわけです。
もう少し、生臭いブログを目指してみようかな。
例えば、こっちに来て多くの友達もできたし、力を抜いて生きれるとも思うし、居心地もいいと感じている反面、どこか常に漠とした寂しさがあることとか。facebookのようにリア充ばかりでなくていんだもんね。
きっと今時分の日本では彼岸花を揺らした風がいつの間にか色づいた葉を落とすように、あまりに当たり前に変わっていく情景を、並べてみらたらその移ろいがわかる写真のように、そんな風にこのブログを使っていけたらいいなって思います。
ということで前回の記事を書き直してみました。
少しはリアルになったかと思います。